ブリッジSEやコミュニケータの日本語能力
実は日本語の発音は外国人にとっては難しい
語学に関しては全然ダメダメな私ですが、発注者の立場のときは、結構安易にブリッジSEやコミュニケータの日本語力を評価していました。
自分が話せる日本語のことなので特別なことだとは思っていなかったのですが、もし同じ内容を英語で話していたら直ぐに凄いと思ったはずです。改めて考えると日本語を話せるというのは大変凄い能力です。
とくに発音が良いとうまく感じてしまいます。
日本語は「通じるか通じないか」という意味では発音にはとても寛容な言語ですが、状況に応じて上がったり下がったり、いろいろな変化があります。ほとんどの外国人は、それをうまく発音できないため、すぐに外国人だと分かってしまいます。
その使い分けは、ベトナム人の妻にとって、厳密なルールのあるベトナム語よりも難しいらしく、よく「どうしてそういう発音になるか」と聞かれますが、意識して発音しているわけではないのでうまく答えられません。
発音の上手な人が本当に日本語がうまいとは限らない
しかし、たまに発音がとても上手な外国人がいます。
そうすると私たち日本人は、日本語がうまいと思ってしまうのですが、そうとは限らないようです。
あるプロジェクトをベトナムに発注したとき、2人のコミュニケータがそのプロジェクトに割り当てられました。
一人はベテランで、もう一人は大学を卒業したばかりの新人でした。
そのオフショア開発会社のコミュニケータは、みんな大学の日本語学科を卒業していましたが、大学を卒業したばかりの新人は会話はほとんどできないのが普通でした。
ところが、その新人は会話ができるうえ、発音が完璧です。文法にもおかしなところがありません。
これは良い人を割り当ててもらえたと喜んでいました。
何度目かの打ち合わせのとき、その新人コミュニケータが先輩コミュニケータのサポートなしで、初めて一人で通訳をすることになりました。
最初の議題を話し合っていると、すぐに違和感を感じ始めました。こちらの問いかけと相手の答えがまったく合っていないのです。
日本側 「このタスクが5日掛かるのはなぜですか?」
ベトナム側「このタスクは10月19日に終わります。」
日本側 「5日掛かる理由を説明してください。」
こんなやり取りが続いて、その日の会議は延期することにしました。
問題は、その新人の日本語力が足りなかったことにあったようです。普段話していると、とてもうまいと思ってしまうのですが、よく聞いていると話すパターンが決まっていて、それを使うタイミングが絶妙であるため、上手だと感じてしまうことが分かりました。
日常会話と違って、会議の場ではタイミングや発言する内容を選ぶことができません。そのためうまく通訳できなかったようです。
ある程度フレーズが決まっているとはいえ完璧に発音できて、そのフレーズを使うかどうかを瞬時に判断できる彼女の能力は非常に高いのですが、その能力の高さゆえに周囲の期待が大きくなり過ぎてしまいました。
発音が下手だと能力も低いと思いがち
逆に発音が下手だと能力が低いと勘違いしてしまうことがよくあります。
中国人技術者で10年以上日本にいる人がいます。
その人は元々、情報技術を学ぶために中国政府から派遣されてきた人で、とても頭の良い人でした。
技術的にも非常に優れていて、オープンソースのフレームワークなどをソース解析して独自に拡張したりする人でした。
ところが、日本語の発音は全然ダメで、よく聞いていないと何を言っているのかわからないときがあるくらいでした。
発音が下手なので最初は「たいした技術者ではないな」と思っていました。
しかしよく聞いていると、話している内容は、技術的には非常に高度で文法も正しかったのです。
その人には非常に質の高い仕事をしていただき、その後、継続的にお付き合いすることになりました。
そのとき、発音のうまさで、その人の能力を判断してはいけないというのがよく分かりました。
まとめ
オフショア開発でブリッジSEやコミュニケータに必要なのは読み書きの力です。会話能力も高いに越したことはありませんが、会話がうまい人が読み書きもうまいとは限りません。
とくに発音と読み書きは別の能力なので、面接だけで選ばないで、文書の理解力などを試すことが大切です。