缶コーラの蓋
ベトナムでは暑いので缶コーラをよく飲んでいます。
そのとき困るのが、プルトップが壊れることが頻繁にあることです。
缶を開けようとするときに引き手だけがねじ切れてしまうことが、10本中1、2本くらいはあります。
この頃は、引き手を一気に引っ張らないように少しずつ開ける癖がついてしまいました。
日本では、このようなことは滅多にありません。
同じ機械を使っているのにとても不思議です。
他のものもベトナムではよく壊れます。
家具からネジが外れることがよくあります。
先日も折りたたみ式のテーブルと椅子を買ったのでネジを調べてみたら、ほとんどすべてのネジが斜めに刺さっていました。
ベトナム人の手先は器用だと言われています。
実際にバイクや家電などを修理するのを見ていると、日本なら買い替えを勧められるようなものでも、針金などを駆使して器用に直してしまいます。
ですから技術レベルは決して低くはありません。
それなのに、なぜ直ぐ壊れるものを作ってしまうのかというのが、長い間の疑問でした。
この頃になって少し感じたのが、みんな高い品質を求めていないから、手間を掛けて高い品質の製品を作るのは無駄だと考えているのではないかということです。
不良率が0.1%でも1%でも同じ値段であれば、0.1%を目指すより、1%のものをたくさん作った方が儲かると考えているのです。
大部分の日本人は、品質はできるだけ高くすべきだと何も言わなくても考えますが、ベトナム人は違うようです。
私も日本人ですから、良いものを作っていれば、いずれはみんな分かってくれる。悪いものを作ると市場から淘汰されてしまうから、高い品質を目指さなければならないと考えています。
でも、よく考えると短期的に儲けるためには、ベトナム人の方が正しいというか自然な考え方ではないのかという気がしてきました。
最近、日本で家電などを買うと、以前よりも初期不良品が多くなっているように感じています。
もしかすると、特殊な考え方をしていた日本が、グローバルスタンダードに近づいているのかもしれません。
しかし、ソフトウェア開発、とくに日本向けのシステムでは安かろう悪かろうは通用しません。
そうすると、なぜ高い品質が必要なのか、なぜそのために手間を掛けなくてはならないかを、ベトナム人技術者に理解してもらわなければなりません。
そのとき、日本人とベトナム人の考え方の違いを踏まえて説明すれば、より納得させやすいと思います。